2016/11/19
インターネット上における情報の拡散は、数学の問題としても取り上げられる面白い現象が多々あるようです。
私は、インターネットは、出現した当初から、仮説として、共有された脳というタイトルをつけていろいろと考えてきました。
ブログを書いても、こんなもの誰も見てくれないよとか、こんなの書いても、意図は別として無駄だよといった感想を、初めは、誰もが持つと思うのですが、実際は、まったく異なってくるのですね。脳が共有されていればこれはあたりまえのこと、なんですね。見てもらいたい人にも、伝わっているはずだし、見てもらいたくない人にも伝わっていく。それが、サイバーポリスであっても。日本語だから、海外は無理だよと思われている人もいるかもしれませんが、ある種の情報に関しては、すべて見られている、あるいは、監視されているといっても間違いではないと思います。
ネット検索を繰り返していると、また別の不思議な体験をしたことがありませんか?自分が知りたい情報が集まってくる感覚を持ったり、自分の関心と同じテーマを持った人のブログに出会ったりとかですが、これも共有化という観点で言えば不思議でも何でもないということです。
小学校ぐらいからネットにはまった人たち、ゲームの形であれ、ネットゲームの形であれ、この脳内体験が優先されて、自分の存在する物理次元との優先順位の逆転が始まってきます。これは少し危険です。CP上での論理展開が、普通だと、思っていると、現実での論理展開との間に大きな落差を感じて、まず自分の中にストレスを感じてしまうからです。pc上での論理展開は、基本はロジカルですが、現実はそうではありません。PCを子供たちから、取り上げることはもうできませんが、その特性を理解して、その罠にはまらないように注意してあげましょう。子供をPCの前にほうりっぱなしにしない。
私はこのブログをもっと充実させたい。何よりももっと、プラントイの活動について、情報をお客様に伝えて、お客様と共有したいと強く思っています。必ず、読んでくださる人がいると信じているし、わかっています。